観劇記録 演劇ムーブメントえみてん 異邦人の庭
概要
かなざわリージョナルシアター2021 げきみる参加作品 演劇ムーブメントえみてんさんの 異邦人の庭を観たので感想を書いてみようと思います。作品の概要はこちらで
観劇日 2021/12/12 13:00
場所 金沢市民芸術村PIT2ドラマ工房
ジョキャニーニャTVでの忌憚のない感想はこちら↓
感想
役者について
二人の役者がしっかりセリフの意図を解釈して発し、それを受け取って、また心情や態度の変化を見せて、セリフを交換し合う、まさに会話劇。案外と舞台上で普通に会話をするというのも難しいものだけど、非常に安定していて、演技は過剰でもなく、物足りなくもなく、活舌もよく言葉で聞いただけではわかりにくそうなセリフもすっと入ってきた。あと、天神さんはかっこいいし、のとえみさんはきれいだし二人のビジュアルも良かったと思う。
動きが少ない芝居ということもあるけど、手足の所作や姿勢も気になることはそんなになく、セリフを聞いて物語を追っていくことに集中できた。また、セリフの間と表情の変化、そして、その間を破る口火の切り方に気を遣っているように感じられた。
この状況でこの人物は何を言うのか、という一種の緊張感にも似た雰囲気が観ている者をその状況へ引き込み、観客はその一部始終を固唾をのんで見守っているようにも思えた。非常に繊細な、そして鍛錬された役者二人による濃密な会話劇はとても見ごたえがあるものだった
天神さんは要は状況に振り回される立ち位置で、その役が持つだろう葛藤や逡巡、決断といった感情をセリフや動きに乗せ、分かりやすくまたスマートに伝えられていたように思う。また、モノローグや状況説明の長台詞も観客の理解を助けるうえで聞きやすくよかった。若干噛んでた。「怖いから考えないようにしてます」ってセリフがなんとなく印象的だった
逆にのとえみさんは、目まぐるしくかわる登場人物の感情を器用に操って、死刑執行を待つ身という特殊な(おそらくその場の誰も経験したことがない)状況に説得力を持たせていた。ただ、結婚についてのろけたかと思えば会話の中で急にヒステリックになったりして、二秒前と別人では?とも思ったけど、まぁ、それが死刑囚の心情なのかもしれない
照明について
机と椅子と二人を遮る板を照らすのみとはいえ、しっかりとその空間を作り出していた。観客席が舞台を挟むような形の場合、時々反対側の客席が見えて気が削がれるということがあったりするけど、客席にはほとんど当たらず、その二人の舞台だけがしっかりと際立たせられていた。余韻を感じさせる最後のカットも良かった
音響について
ピアノの音が芝居の邪魔をすることもなく、非常に雰囲気にマッチしていた。また、台本にもある時計の秒針の音は時間経過を伺わせると同時に、ともすれば全くの空白となりがちなシーンにアクセントを持たせていた。あと、たまたま雨が降っていたんだけど、その雨音も雰囲気を作るのに一役買っていて、良い空間になっていたと思う。
その他
前情報でのとえみさんの衣装が胸元の空間に対してうなじが開いていてちょっと変わってるよ、と聞いていたけど、そんなに変わってるってことはなかった。最前列で見た方がいいというアドバイス通りに最前列に座ったら、確かに役者の雰囲気や表情がよくわかり、非常に集中してみることができたと思う。遠かったらどう見えるかはまた分からないけど
前説の方が話し方が特徴的で、どことなく張り詰めた場の緊張感をほぐしてくれた気がする。消毒スプレーとタオルを慌てて取りに戻るあざとい動きはちょっとよくわからなかったけど。あと、一旦はけたようにふるまって客席に戻ってくるならそのまま客席に行けばいいのに、と思った
気になったこと
のとえみさんの姿勢というか、何かの折にちょっとだけ体を前に傾けて手を少し出して止まるのが、そういう演出なのかもしれないけど、なんか少し違和感というか、この立ち方でいいのかなと思った
観た後に戯曲も読んで確認したんだけど、ロフトでの首吊りやSNSで知り合うなど、この話はたぶん座間であった事件をもとにしている。ただ、座間の方は遺体をその場で解体して保管しているのだけど、本作の中ではどのように扱ったかが明言されていなかった。また、殺害の動機も記憶喪失ということになっているので明かされず、ただ「死ぬ権利があると思っている」というセリフ等で暗に語られるだけだ。正直客席にいながら、普通のOLがどうやって七人も殺せた(殺そうと思った)んだろうと少し気になっていた
もし座間と同様にアパートで遺体を処理して保管していたとしたら、そのなくなった記憶の数か月間で7人殺害してその遺体の処理方法も心得て、その遺体と同居していたことになる。座間の犯人像からであれば、(それでも厳しいけど)そういうことが可能だったかもしれないと思えるけど、普通のOLがそんなことをやり遂げるに至った動機や方法がどのようなものだったのか、と思った
ある意味多重人格者の殺人の話と構図は似ていて、ビリー・ミリガンも少し被るなと思った
設定全体として死刑の制度が変わっていたり、記憶がなくなっていたり、被害者女性の演劇の公演を以前観たことがあったり、その被害者女性の元夫が支える会の一員として面会に訪れたり、色々な方向から一つのシーンを作り出すように仕掛けられているともいえる。そして、ある意味その空虚な設定は、演劇という枠組みの中で、他人とは相いれられない隔たりがあるということを暗に示していたように感じられた。それは、詞葉が自分の殺害の動機が分からないということや、春の元妻が自殺を望むような人ではなかったというセリフからもにじまされ、真実は常に自分の計り知れない別のところにあるという、隔たりや壁と言ったイメージを惹起し、まさしく二人の間にあるアクリルの壁がそれを象徴しているようにも思えた
舞台設定で少しひっかかったのは、死刑の執行同意書には両親か配偶者のサインがいるというのは、両親が他界した独身者にその権利が与えられないというのはなんか不自然(というか不平等)だし、契約結婚を助長したりしそうで、正直あまりリアリティの感じられる設定だとは思えなかった。また、殺した7人のうちの一人が昔見た演劇の女優というのも、意図的に選んだのでなければ、かなり低い確率だと思われる。逆説的に意図してその女優を選んだということであれば、また別のストーリーが浮かんできそうだけど、それはそれで大胆な話になりそうなので、そうではないと思いたい。ただ、どうやって遺体を処理したとか、法律がなんとなく違和感があるとか、そういう設定や状況は全て二人の会話を生み出す装置であって、おそらくそこの蓋然性は重要ではなかったと思うし、実際のところ、それよりも演者二人の静かな迫力と丁寧に作られたセリフがそれらを消し去り、心地よい会話劇の中に誘われていた気がした
あ、戯曲はこちらに公開されています
好き勝手書いてすみません。気に障ったらあやまります。